2017年7月21日金曜日

梅雨明け~

毎日暑い日々ですが関東も梅雨明けの模様。
え?梅雨あった?ぐらいでしたね。


先日のブログにも載りましたが。テレビから出てきそうな勢いのあのお方。

他にもあの人とかあの人とか。。。
よく喋るな~という強烈的な芸能人の方たち。


みんな自分の好きなように喋り、好きなように解釈をする方。


言葉が多すぎると、騒音ではなく雑音になるんだなと感じました。

結果、人に伝わる言葉が単純な言葉なように
言葉が多すぎると伝わらないこともあるんだなと。
そう感じたことがありました。


今年に夏になってから、海に2週連続で行ってます。
今夜が最後の海。

先週は海賊のコスプレをしている団体の方たちがおりました。
ワンピースも実写化されるそうなので。。。

キャスティングの発表を涙流しながら待ちます。。。
どうなるか!!

2017年7月14日金曜日

関東地方はまだ雨は明けず☂
雨の晴れ間は五月晴れ」なんてCMもありましたが、
五月晴れどころか連日猛暑続き☀
このまま、雨降らずで夏に突入してしまうと、いろいろ支障をきたしてしまうだろう。

先日、料理番組を見ていたら、久しぶりに耳にした言葉があった。
「塩」あんばい

「いい塩に」とか最近は聞かないような気がした。

昔は、酸味と塩味で味付けをしていたとか。
その酸味は酢だったそうで。
ちょうどいい味付け、とてもいい具合の事から料理以外でも使われるようになったそうだ。

雨にも (青の季節に降る長雨。雨入りしましたは大雨災害に気をつけてもらうためのお知らせ、農家の方々に知らせる、など)

他にも、たくさんいろいろ使われている

ちょっと調べていたら、こんなことわざを見つけた。

はその日の難のがれ」
  (朝、出掛ける前に干を食べると、その日は災難をまぬがれるという説があります。
  昔、旅人が、その土地特有の熱病や風土病にかからないように、干を「薬」として携帯していたからです。
  に殺菌効果があることは、学問的にも認められ、多くの人が体験しています。 今でも旅館などで、朝食に干が出されるのは、この説が生きているためです。
 
我が家は、嫌いでもないが干しは積極的には食べていない。

そして、我が家でよく聞くのがこれ。
こちらも少し前のCMでも流れていたが、

「朝茶はその日の難逃れ」
  朝、茶を飲むと災難よけになる。

最近は、お茶もわざわざ急須で茶葉を入れて飲む事も少なくなり、茶柱が必ずできるお茶なんかも売っていて、ラッキ-度合が低下してしまうのも残念だったり。

その二種類で同じようなことわざがあるのも面白い。
昔の人は、良く言ったものだ。

一度で二度おいしい?ラッキ-な干し茶は昔大流行りしていたかも?

雨明けは平年並みか?

すでにはじまっている猛暑に負けないように、干し茶なんていいかもしれない。

2017年7月13日木曜日

「貞子vs伽椰子」を観ましたが、あの動画の方が怖かったです。貞子も伽椰子もそりゃ化けて出るよね、って話ですし。


 色々とニュースがありますね。ありとあらゆるニュースに精通しろとは思いませんが、「ある程度」はテレビなりネットなりを比較しながら、世の中の情報は脳内更新するべきだと私は思います。どんな業界であっても、最終的に「人と人」でしか仕事は出来ません。じゃ、仕事のみで繋がっていればいいかと言えば、全く趣味や主義の違う人とも仕事はしづらい物ですし。

 誰かに合わせろとは言いませんが、何かのきっかけで「へぇ」と思い、興味が湧く。これが人付き合い、仕事上の付き合い、恋愛でもそうですが、付き合うきっかけ、続けるきっかけになると思いますので。そこで共感するにしろ、「ちげーだろ」と思うにしろ、なんらかの感情を抱かずにいる、つまり「無関心」でいることは色んな意味で危険だと思います。

 最近だと某女優さんが「コイツ画面から出てくるんじゃねーの?」という勢いで、ネットに動画を上げて話題になりました。私はあの人はその「無関心」の典型じゃないかと思っています。「旦那や、その他の相手に興味関心があり過ぎて、じゃないの?」と思うかも知れませんが、私にはそうは見えません。相手を責めるばかりで自分を省みないスタンスというのは、「自分は常に正しい。相手が何であろうと間違い。どうでもいい」に他ならないと思います。

 この「どうでもいい」というスタンスは、あの人の場合、「自分に味方するか否か」だけが判断基準になっていて、相手の意見などどうでもいい、というように見えます。つまり、考えのベクトルが全部内向き、自分自身にしか向いていないと言うこと。「興味」は相手に対する外向きのベクトルです。

 一見「愛するが故の憎しみ」のように映りますが、私にはそうは見えませんでした。自分だけの世界、無関心、相手はどうでもいい。これが繰り返されるとどうなるか? もう孤立しかありません。徹底的に自分の世界観だけで生きているのですから。自分を肯定する物以外は否定する。あの人は自分が生きていくはずの、今まで生きて来た、今現在もその世界にいるはずの「芸能界」そのものも否定し始めています。

 自分の所属する世界。日本人なら日本。会社員なら会社。家族なら家庭。そこに属する人間、その団体を否定すると言うことは、自分自身の住む世界そのものを否定することになります。私はこの手の人を何人も見たことがありますが、このロジックをぶつけると大抵黙ってしまいます。「でも」とか言いながらも理解出来る人は何も言えません。

 本人がその「孤立」を望んでいるなら別です。しかし、殆どが「相手が悪い」、「世の中が悪い」と言うことで、自分の正当性を確立しようとしているだけです。その正当性の基準となる世の中や家族や相手を否定して、どうやって自分の正当性を主張出来るのでしょうか。このロジックで自分が正しくなる為には、「この世の王」にでもなるしかありません。或いは孤立するか。

 はい。ここまでは面倒臭く書きましたが、あの人やそういう人は、要は「かまってちゃん」なだけ。承認欲求をいい年してぶちまけているだけです。「色んな人に認めて欲しい」にそれっぽい理由を付け出すと、殆どの場合「嘘」で塗り固められていきます。単なる欲求に「理由」などありませんし。「○○だから私は間違っていない」(だから認めろ)なんです。その「○○」など存在しやしない。それっぽい理由に聞こえたとしても、気にもならない人から見れば、「? それはこじつけでは?」となってしまう。

 承認欲求がダメなわけででも、子供だからとか大人だからとかでもなく、「やり方」はあるだろうと。相手を認めることと、素直になること、常に相手や周りがあっての自分の存在だと言うことを忘れないこと。そしてそこから派生してくる相手への「興味」を大切にすることだと私は思います。「世の中に無関心な俺かっけー」、は高校生くらいまでしか相手してくれません。ましてやあのオバハンみたいに「こんなに関心あるのに(あるとは言ってない)! かまってかまって!」じゃ、旦那以外でもドン引きですよ。

 大人になって(見た目だけは)思うことは、「余りこだわりすぎるのも良くない」ということ。あのオバハンは「自分」にこだわりすぎていると思います。「自分が」という欲が強すぎて、「ま、とりあえず自分はいいや」という部分にビタイチたどり着けていない。自分は正しいという事、それにこだわり過ぎること、今回の事で言えば「無関心で居続けること」ですが。その正しさにこだわりすぎること(私は拘泥という言葉が好きです)は、全てを失うことに繋がると思います。

 「正しさに拘泥しない」ということは、相手のことも認めるという事です。「俺はこうやって生きていくぜ! 俺以外の生き方はダメだ!」って人をたまに見かけますが、アホかと思います。その俺様の生き方を成立させている周りはなんなのかと。

 非常にダラダラと書きましたが、健康バカが「健康の為なら死んでも良い」という行動を取ってると、頭悪いんじゃね? って思いませんか? ってことです。こだわりすぎで死ぬならその人は本望なのかも知れませんが、もっと緩くても楽しい人生送れると思うんですけど。と。

 なんにせよ、あのオバハンが画面から出てこないことを祈ります。



2017年7月7日金曜日

こんにちは。

あっっついですね。
溶けます。


夏といえば。。。海やプール?
海水浴場もプールも混みますよね。

私はどちらも嫌いです。山も。。。


なぜ?
単純です。虫が嫌いだから。
インドアなんです。

出来ることなら家でずっっと本や漫画や映画を見ていたい。(みんな何かしら同じ思いでしょうが)


そんな自分ですが、今年は海に行こうかと思ってます。
早速、今夜。

いやだ、苦手だ。
と言って逃げていると、視野の狭いつまらない大人になっちゃうなと思い
苦手なことを率先してやっていこうと思いました。


「今」しか見ていないと、見えていない何かを見落としてしまいそう。
明日のサンセットを海で見れますように。。。!

行ってきます。